朝井リョウさんの「正欲」を読みました。
超特殊な性癖を持った登場人物達が、社会の中でいかにして自分たちの欲を満たしていくのか。社会の中に適合しようとするのか。「多様性が大事」と言われる時代において、常識的な多様性にすら含まれない異常者達はどのようにして社会から排斥されているかを描いた作品だと感じました。
多様性を受け入れる重要性が高まっている現代ですが、学校現場でも「多様性が大事」「配慮が必要な子もいるから、そういう子も受け入れていこう」という言葉が聞かれるようになりました。
しかし、結局その「多様性」というのは「学校という枠の範囲の中における多様性しか認めない!」と判断されることが少なくないな感じます。
多様性を認めるということは、そんな綺麗なことではない。この本に出てくるような自分が想像もつかないような特殊性癖をもった人間がいるという事実に対して、吐きそうになりながらも向き合うということが、多様性を認めるということなのだと感じました。
学校においても「多様性を認めよう!」と言葉だけが先行していることが多い気がします。じゃあ、多様性を認めるにはどういう生徒がいて、あの異常とされる生徒にはどのような指導が適切なのか?というところまで教員が共有できて初めて多様性を受け入れる準備が学校にできるのだと思います。
この本を読んでいて、そんなことを考えさせられました。