教師に残された役割は何か?
前回の「学び合う教室#4」では、自主性を大事にする教師を紹介し、学び合う集団が形成されたのは、教師が生徒に学び合う文化を許し、奨励したからであると述べました。
ここまで読むと、「じゃあ、教師はいらないのでは?」という疑問をもつ方をいるかもしれません。注意深く読んでいる方は気づいたと思うのですが、この教師は何もしていないわけではないです。残された教師の役割としては2点あると紹介されています。
第一に児童が一人一人自ら考えるという文化を教室で作っているという点で大きな役割を果たしていると言えるでしょう。これにより、児童は立ち歩いても良いですし、集団を作っても良いですし、個人で作業しても良いわけです。
この考えがクラスで共有されているからこそ、子どもたちが安心して自分に合った学習スタイル(情報の3階層)を作ることができるのです。その方が自然であり、効率的であるにも関わらず、教師が必要以上に介入することで、子ども達は自分に合った学習環境を選択することができないわけです。
第二に目標の設定も教師の役割になるでしょう。個人が自分の意思で最適な学習環境を作ることができても、集団としてこの時間にどの様な課題を達成するのかは教師が設定する必要があるでしょう。
しかし、集団が熟達してくると、この目標設定さえもいらないのでは無いかと考えます。例えば、受験勉強でクラス全員が志望校に合格するという目標さえ設定して、あとは個人や集団で自分に合うペースで学習した方が効率が良いと思いませんか?
以上の様に、本書の『学び合う教室』では、社会では当たり前に自然形成されている情報の三階層が教室では形成されておらず、その自然形成の阻害をしているのは教師であるという教員にとっては何ともショッキングな内容を紹介しました。
教員にとってこの内容はショッキングですが、授業中に分からないところを友達に聞く文化さえ与えられない生徒の方がかわいそうではないでしょうか。
一方で、自主性を大事にする教師の例を挙げましたが、教員の考え方がこの様に変化することができれば、生徒と今よりもより多くのことを学べるという希望も湧いてきます。
特に、近年では、オンライン授業の普及によって、教室での対面の授業の価値が相対的に下がってきていますが、この様な学びの集団を形成することができれば、生徒が学校にいく意義を見いだせるのでは無いでしょうか。