本日は3年生の政治経済の授業でした。3年生の状態としては課題をやろうとはしているが、異なるグループでの関わりは生まれていない状態です。
こういった状態だと、どうしても悪いところに目がいってしまいます。
課題が悪かったのかなーとか、語りをもっとしっかりするべきなのかなあなどなど、悩んでいたのでゼミの先輩に相談してみました。
すると先輩は「イツキがどうしたいかにもよるけど、悪いところに答えはないと思うなあ。逆に誰が動いてたのかとか、前回とどこがマシになってきているのかとか、そういう面をみていかないと、答えは見るからない気がする」とおっしゃっていました。
確かに、振り返ってみると、少し移動している子がいたり、最後まで課題を終わらせようと頑張っている子がいたりと良いところもあったのを思い出しました。と同時に気持ちが少し楽になりました。
『学び合い』をしていると、授業がうまくいかない時にどうしても悪い面を見てしまいがちです。その悪い面を解決するよりも良い面を少しずつ見つけて、言語化して、増やしていった方が良いというのを再認識しました。
実際に、1年生の世界史で良い見取りができている時は「今日はあの子のああいうところが良かった」という話がポンポンでできます。もちろん、悪いところもあるのですが、ちゃんと見取れている時はそういうことはあまり気にならないです。何故なら、気にしたところで解決できないからですね。
上記の様な見取りができていると次の授業も楽しみになってきます。逆に今日みたいに、悪いところにばっかり目がいっているとストレスが溜まってきて、語りも何か説教みたいなものになってしまいます。
結局は、そういう良いところを見て楽しむというメンタリティーでやっていないと自分の身が持ちません笑 生徒の良い面をなんとか見つけて、それを喜ぶというのを常に意識していきたいです。