押井守監督のアニメーション映画「攻殻機動隊」中にこんな言葉があります。

「戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ、組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死」

これは主人公の草薙少佐の言葉で、彼女は脳と脊髄の一部を除き全身を義体化した女性型サイボーグで、公安9課の現場指揮官として登場します。

彼女は自身がサイボーグとして公安9課で活躍したとしても、結局は自身は特殊化された一部であり最終的には世の中から必要とされなくなることを悟って(?)この言葉を吐いていると思います。

ネタバレですが、最終的には彼女はそんな不安と抱えながら、自律的に暴走し、政府の手から逃げてきたAIと融合することで物語は終わります。

見終わった後に、「なんか主人公がAIと融合して終わった、、」と納得がいきませんでした。そこで、冒頭であげた言葉をネット検索してみたところ、面白い考察をしているブログに出会いました。

「特殊化の果てにある緩やかな死」を超えるには

スポンサーリンク

この方は、この作品では冒頭にあげた「緩やかな死」を乗り越えるためには「他者」が必要であり、そのためには変化に対して自閉せずにお互いが連携することによって、「緩やかな死」をお互いが乗り越えられるのではないか。と主張しています(多分、、)

このことは教育現場にも言えることだと思います。

例えば、近年、ICT化する教育現場において、自閉しているベテラン教師に待っているのは「緩やかな死」かもしれません。「俺の時は紙でやってきたから、ICTは一切使わないし、口を出すな」と言っていると時代に取り残されるでしょう。一斉授業に特殊化したベテラン教師であっても自閉してしまうと、新しい波に対応できなくなります。

逆にベテラン教師が自閉せずに「他者」と繋がろうとすれば、この「緩やかな死」を回避することができます。若手にICTの使い方を教えてもらったりなどでしょうか。

そして、この方がいうように「お互いがお互いを必要としている」というのも納得できます。若手はベテランの授業や仕事での知恵を必要としています。

今後、変化が激しくなる世の中において、求められるのは「自閉」するのではなく、自分にとって新しい「他者」とつながることかもしれません。

スポンサーリンク
LINEで送る
Pocket