最近、『学び合い』の集団が成熟すると教師って不要になるのかな?と思うことがあります。

生徒集団が「一人も見捨てない」ような集団になると、もはや先生っていらなくならないのでは?という漠然とした疑問。

今日のゼミで西川先生に質問したところ

「成熟した『学び合い』の集団での教師の役割は、これからの社会がどうなるかをエビデンスを元に生徒に語ることだよ。逆に生徒がこれをやるのは難しいよ。」

確かに西川研究室におけるゼミの時間というのは、西川先生と「これからの社会はどうなるのか」「そのような社会で自分はどう生きるべきか」ということを議論する時間がほとんどです。

その中で、実際に西川先生の学術研究やこれまでの経験を元にしたエビデンスに触れることによって、これからどう生きるべきかが何となく見えてきます。

これを生徒がやるのは確かに厳しいなと思いました。学術研究によるエビデンスを見つける力や自分の信念を生活に落とし込める子どもというのは、ほとんどいないと思います。

だからこそ、成熟した『学び合い』の集団において、最後に残るのはエビデンスや自分の信念に基づいた語りかけなのだと思います。吉田松陰の松下村塾で数々の歴史に名を残すような偉人が生まれたのも、松蔭の知識を元にしたエビデンスと信念を生活に落とし込んでいたからこそ、多くの弟子が感化され考えられないスピードで成長していったのだと思います。

スポンサーリンク
吉田松陰 - Wikipedia

さらに西川先生は

「そのような成熟した集団のレベルになってくると。例えば授業が5時間分あったとしたら、『学び合い』をやらせておいて、1時間事に6〜7人を教室の後ろに呼んで「最近どう?これからどうするの?」というようなゼミみたいな形にするのもありだと思うよね。そこで話される内容というのは、これからの社会はどうなるかとか。人生についてだよね。」

とおっしゃっていました。なるほどなと思いました。吉田松陰は常々、生徒たちに対して「これからの日本はどうあるべきだと思う?」と聞いていたそうです。それも年齢に関係なく、小学1年生ぐらいの生徒に対しても自分と対等に聞いていたそうです。

まさにそのような形だなと思いました。

ただ、自分はまだ西川先生や松蔭のようなエビデンスや信念を持っていません。そのような自信を持って何かを語れるようになるためにも、大学院での研究はもちろん、自分の考えをもっと深めていきたいと同時に、こうしてブログを書くことで信念を生活に落とし込んでいきたいなと思いました。

『学び合い』について知りたい方は入門5冊についてまとめたこちらの記事をご覧ください。

スポンサーリンク
LINEで送る
Pocket