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前回のブログで、人(生徒)を信じるためには、自分が期待していることを言語化して、それをお互い調整していく過程が大事なのではないのか?という記事を書いたのですが、翌日の朝にその記事を読んで下さったゼミの先輩から以下のような意見をもらいました。

先輩「イツキにとって最初の語りの時間に話している生徒は良くない生徒ってイメージ?」

自分「いや、良くない生徒というわけではないです。」

先輩「じゃあ、別に注意する必要なくない?」

自分「んー、でも明らかに周りの生徒からうるさいなー的な感じの視線が集まってましたから。本当は生徒同士で注意して解決できるのが理想でそれを期待していたんですけど、それが起こらなかったので、このままだと全員にとって良くない状況だったので注意しました。」

先輩「あーそうかー。まあ教師がコントロールしようとすぎると『学び合い』はうまくいかんからなあ。任せる部分とコントロールする部分のバランスは確かに難しいよなあ。コントロールしようとしすぎると注意された生徒はますます『学び合い』に対して反発するようになるからなあ。」

なるほど。確かに『学び合い』は生徒に任せるというのが基本スタイルですが、振り返ってみると前回のブログで書いた自分はどこか生徒をコントロールしようとしてた部分があった感じはします。

ただ、今回注意した子達をこの2週間そのままにしていたのは、そこで教師(自分)が言ってしまったらその子達を排除することにつながると感じていたからです。

このように振り返ってみると、生徒に任せたいと思い我慢している自分がいる一方で、生徒がコントロールしたい自分もいることが分かりました。

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じゃあ、あの場面ってどうすればよかったのだろう、、

この事を朝から考えていたので、その日はとても頭が痛かったです。今日の授業で昨日のことを何て言おう、、、

考えても答えが見つからなかったので、西川純先生ならあの場面はどうするだろうと考えてみました。

自分が考えたパターンは「これで良いの?」という問いかけだけして、あとは生徒に任せるというパターンです。

そう考えると、あーなるほどとなりました。こうすれば、教師の期待も言語化してしっかりと伝えることができるし、最終的にどうするべきかは生徒が決めることができます。

当日の授業では、昨日の授業では喋っている生徒に注意したけど、あの時は周りの生徒が明らかに迷惑を受けていると先生自身は感じたので注意しました。

あれは『学び合い』でいう全員が成長するという姿とは離れているように先生自身は感じたからです。ただ、それはあくまでも先生にとっての感じ方なので、最終的にどうするかはみんなに任せます。「全員にとって良い時間を過ごす」というのが『学び合い』の考え方だと思うから、別に喋っててもいいけど、ただ明らかに周りの人に迷惑をかけているとそれは「全員にとって良い時間を過ごす」というのとはズレているよね?先生自身は昨日はそう感じたから「これで良いの?」という形で投げかけました。

このクラスは全員達成もできる力があるので、その辺は君達でうまく解決できると思うから期待してます!と言った感じで語りました。

この前の授業と少し変わったのは、あくまで教師は問いかけをするだけという立場になったところだと思います。この前は少しコントロールしようとする色が強く肩に力が入っていたのですが、今回の授業では楽に語ることができた気がします。

おかげで、この前注意した生徒ともラフな感じで『学び合い』の時間の時に話せました。いつもその生徒は『学び合い』の最初の10分ぐらいは友達と喋っているのですが、その日は黙々とプリントを解いていて、「先生!今日は俺頑張ってるよ!いつもは無理だけど!笑」とアピールしてきました。その瞬間にああ、排除されたとは感じていないのかなと安心しました。

結局、生徒に任せるというのはこういうことなんだろうなと思います。期待することはしっかりと言語化して伝えるけど、最終的にどうするのかは彼らが決める。肩に力を入れすぎて排除する生徒を生み出さない。身に染みて大事なことだなと感じた瞬間でした。

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