今回、紹介するのは「何故、理科が難しいと言われるのか」です。この本で語られるテーマは「教師が思っているように学習者は思っていない。そしてそれは彼らが愚かだからではない」です。私たち教員は日々、生徒が授業を分かってくれるように様々な「分かりやすい授業」を考え、実践しています。しかし、実際は教師が生徒に見せようとしている授業と生徒が見ている授業は全く異なっているということを研究結果を元に紹介しています。こうした教師と生徒の両者の「認識のズレ」を紹介した上で、ではどうすれば良いのかと言うことも紹介されています。

学習者が考えていることと実際の行動には剥離がある

 (西川、高野 1998)の環境問題に関するアンケートの研究によると、学習者が考えていることと実際の行動には剥離があることが示されてます。この研究は環境問題の中で、学習者自身が行動できる問題として、「分別ゴミ」「古紙回収」、「家庭での廃水処理」の3つを選び、それらをすべきか/否かを質問したものです。例えば、分別ゴミに関しては「燃えないゴミを出すときにアルミカン・スチールカン・ビンに分けて出すことについてどのように感じますか。あなたの考えと同じものか近いものに丸をつけてください。」と質問をします。

 学習者は、「絶対にしたほうがいいと思う」、「したほうがいいと思う」、「わからない 」、「しなくてもいいと思う」、「絶対にしなくてもいい」の、五つの選択肢の中から一つ を選ばせます。また 、自由記述でその理由を書かせます。 

 そして、この調査の1 ヶ月後に、『ジュースやコーヒーの空きカン・空きビンを分別して捨てていますか 。』と質問し、分別して捨てている学習者には、『分別して捨てているという人に聞きます。分別の方法と分別したものをいつ、 どこで 、どう捨てるのか書いて下さい 』を問い、実際に行なっ ているかを判別します。分別して捨てていない学習者の場合 は、『分別して捨てていないという人に聞きます。分別して捨てていない理由は何ですか。』と聞きました。そして、2回の調査によって学習者を4つの分類に分けます。

 そして、上記の中で1番多かったタイプがタイプ2でした。このタイプの学習者は頭の中では「環境問題に対して取り組むべき」だと考えているのに実態は取り組んでいないタイプです。つまり、学習者が考えていることと実際の行動には剥離があると言うことです。私たち教師は学習者に対して実態に応じた指導を行うために、学習者に対して実態調査を行いますが、もし学習者が考えていることと実態に剥離があった場合、実態を知ることは困難であると言うことです。確かに、特別支援教育でよく「子どもの実態を調査して、適切な支援を!」と言う考え方がありますが、そもそも子ども自身が自分のことを正しく理解できていないのならば、その支援は難しいですね。

教師が見せようとしているものと子どもが実際に見ているものは全く違う。

 また、子どもが見ているものと教師が見せていると思っているものは全く違うことも研究結果から紹介されています。

 学習者は理科の授業をどの様に見ているのかを調べた研究で、内容は以下です。

(準備中)

 この問題の回答後、回答用紙を回収しました。そして白紙を配布し、先の問題をできるだけ正確に思い出す様に求めます。もちろん、この様に後で再生させることは予告していません。

 その結果、生徒の再生パターンは2パターンに分けられました。1つ目は比較的正確なパ再生パターン。2つ目は省略・変形の多い再生パターンです。

(準備中)

 皆さんはどちらが理科ができる生徒だと思いますか?結果は1つ目の生徒はこの問題を解けない学習者で、2つ目の生徒はこの問題を解けた生徒でした。つまり、得意な学習者は問題の主題に合わせて無駄と思われる部分を捨ててしまうのです。また、3力の合力の問題として捉えているので、図の方向さえも変形してしまうのです。一方不得意な学習者は、捨象・変形せずそのまま再生してしまうという結果となりました。つまり、得意な学習者と不得意な学習者では全く異なるものを見ているのです。

 授業を作るのは、その教科が得意な教師なので、教師は上記の問題を2つ目の「主題を捉えた見方」として生徒に見せようとしています。その教科が得意な生徒は教師が意図した通りに問題を見ることができます。しかし、その他のわからない生徒は教師とは全く異なるもの見ていると言うことです。教師はわからない生徒のために日々様々な「分かりやすい工夫」を考えていますが、それは結局「得意な子」にしかその通りにしか見えておらず、その他の子は全く異なるもの見ているということです。

つづき

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