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何が学びの集団形成を可能としたか?

 前回の「学び合う教室#3」の研究結果から、「教師が何らかの集団化を意図したことによって、学びの集団形成が可能となったのでは?」という予想のもと、インタビューを行いました。しかし、教師は集団化を全く意図していないことがインタビューから明らかになります。

「Q:6 月 12 日頃からだんだん、授業の内容も集団で活動できるものになってきたせいもある かもしれないんですが、それ以前 5月または4月とかに先生が集団活動を児童に行わせる ために、何かなさったことはあるでしょうか。理科以外の他の授業でももちろんいいんで すけど。

T:全くない。

Q:分かりました。

T:だからそもそもさ、最終的にはさ、一人一人自分が行っているという意識を持たせたいから、で、一人で活動するのが難しいとか、大変だなーとか思ったときに子ども自身が、自主的に集団を作る場合があるから。

Q:じゃあ、個人個人が主体ということで、自分がそれで行きづまったら集団になればいいということですか?

T:限られるものってあるでしょ。今は授業で上皿天秤を学習しているんだけど一人に一つはいきわたらないから、集団で活動しているんだけど、数があれば一人に1つずつあればいいんだけどね。

Q:この調査のときは電流計の数がたりなかったんですね。とりあえず、私の方で遊びの集団と学びの集団に分けてみたんですけど。

T:よく分かったね。

Q:で、もしここの部分は違うんじゃないかという部分がありましたら、ちょっと見にくくて申し訳ないんですが、教えてください。それで児童が学びの集団を構成する要因が何かという。どんな関係で学びの集団を構成するのかという・

T:遊びといってもいろんな遊びがあるじゃない。スポーツ的な遊びとかさ、あるいはめんことか、遊びの中でもさ、遊びの種類によって作る集団って変わってくると思うんだよね。そうだね、スポーツ以外のときはその子どもが本当に仲の良い子供と一緒に集団を作るね。

T: そういう子どもは学習のときも仲の良い子どものところへいくね。

Q: 先生にとって子どもが集団化したことで、授業進行に何か変化はありましたか。授業のしやすさというのは変わりましたか?

T:いや、しやすさで論じるよりも、なぜ、一人一人があって、集団があって、活動するのかというと、最初から最後まで一人一人でいてもいいケースもあるかもしれないけど、それだと、自分だけの考えだけでしかないわけでしょ。もしそれが間違っているかもしれないし、たりない部分があるかもしれないし、そういうのを修正したり、補っていくための集団の良さというのがあるわけだから・・

Q:じゃあ、先生は授業がしやすくなったかどうかということよりも一人で活動していてはたりない部分を集団で補うことの方が大事だと考えているんですね。結果的に見て、集団を作ることによって一人では気づかなかったことまでも気づくことができるようになり、自分一人ではたりなかった部分を他の友達から吸収するというわけですか?

T:そうそう。」

 この様に、この教師は集団化を全く意図していませんでした。研究では、教師が無意識に行なっているのではと考え、データを提示しながら、再度インタビューを行ないましたが、上記の様に全く集団化を全く意図していませんでした。むしろ、個人を大事にしていました。

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「この結果に最初は戸惑っていた。しかし、第2章を思い出してほしい。我々の社会生活の中での三階層は、何らかの意図をもって形成されたものではない。むしろ自然発生的にできあがるものである。おそらく、ヒトという生物の本能の一部なのである。

したがって、このクラスの方がむしろ自然といえよう。それでは、何故、このクラスで表出し、一般のクラスでは表出しないのであろうか。筆者は、その原因はこの教師の指導理念に由来すると解釈している。

すなわち、この教師は児童一人一人が自ら考えることを求め、また、それを許し、奨励する指導を行っていた。実は、学び合う学習を選択したのは、教師ではなく、児童である。彼らが、最も良い方法として選択したのである。

「もう一度、遊びと学びの集団を詳細に検討すると、HとRは4月当初から学びの集団を形成していた。二人は、このクラスで唯一の学びの集団と遊びの集団が一致する集団である。彼らはクラスのひょうきんグループで、特にHは元気が良く、ひょうきんで、クラスのもり立て役である。

同時に落ち着きが無く、授業中にウロウロする児童で、平均的な教師なら「静かにしなさい」、「座りなさい」と注意を受ける子どもである。4月当初からこのHが、分からないところがあるとRに聞きにいくという行動が見られた。

しかし、この教師は注意しなかった。おそらく、クラスの他の子どもたちは、当初は、Hが授業中にウロウロしているのに、先生はなぜ注意しないのか怪訝に思っていたと思われる。おそらくHのことを先生は諦めて、何もいわないのだろうと、彼らなりに解釈していたと思われる。

しかし、4月の中旬からH以外の子どもが単発的に授業中に席を立つようになった。このときも、先生は何もいわない。このようなことの蓄積の結果、6 月のある時点で「この先生は授業中に席を立って聞きにいくことをだめなことと考えていないんだ」という了解が成立したと思われる。その後は一気に学びの集団が形成された。」

 この様に、この教師は児童一人一人が自ら考えることを求め、また、それを許し、奨励する指導を行っていたからこそ、児童は最も良い選択をすることが可能となり、自分にとって最適な学びの集団を作ることに繋がったということです。

 確かに普通に考えてみると当たり前の事ですよね。職員集団を見れば、当たり前に行われていることです。困ったら、自分にとって一番分かりやすい説明やアドバイスをしてくれる先輩のところに行く。これは何も意図して作られた関係ではなく、そのほうが仕事をやりやすいからです。

 ただ、現状の教室はこうしたことを許し、奨励する指導は行われていません。「困った時は先生に質問する。」が当たり前です。あったとしても教師が組み合わせたグループ学習をするぐらいでしょう。校長からグループを組まされて仕事をさせられる状況をイメージして下さい。地獄ですよね?

 それよりかは、教員にとっては、職員集団の中から自分にとって分かりやすい説明をしてくれるところにいける雰囲気を作ってくれた方が100倍仕事はやりやすくなるでしょう。

つづき

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